関東の何処かの県、あの訛りは茨城県とか栃木県辺りだろう。
しかも今では無く、かなり前の話だと思うが樹枝に訛りが無いのは何故だろう。枯れた利根川水系の街。うーん。はて?
そう言えば雅子言ってたな。「それって、由美子の過去世なんじゃないの?」
伊藤雅子(いとうまさこ。二十八歳。小平東警察署市民安全課配属。巡査部長。)同署に由美子の父、片品忠雄(かたしなただお。五十八歳。)が署長をしている。
雅子とは警察学校で出会い、話を交わすうち長年の友であったように急激に仲良くなって今では親友の間柄になった。後で分かった事だが父の同僚であった伊藤泰三(元捜査員)の長女であることも不思議と言えば不思議なのである。
けど、そうなのかな?そうかも知れないな、もしかしたら。
とそう一瞬思って大きく否定の頭を振った。
由美子は現実の犯罪を捜査している刑事である。
日頃起きる事は人間の心が引き起こす。
そんな荒唐無稽な事は普段考えてもみない事、それなのに刑事にあるまじき事を考えてしまった。、と、自分が堪らなく嫌になった。
もう、雅子ったら〜。と
ベッドの上に起き上がってはみたものの、その身体はどっしりと疲れていた。
最近大きな事件も無く落ち着いているな。溜まっている有休取ったって罰当たらないよな。でもこんな時事件が起きたりして、なんてそう思いスマホに手を伸ばした瞬間着信音が鳴り響いた。
班長に違いない!罰が当たったのか!
「由美子!金山の裏手の山中から白骨死体が出た!急いで用意しろ、近くの本山が車で拾うから高速道路を使って急いで来い。」
うんもすんも無い、紛れもなく班長の命令だ。
「班長、殺しですか?」
「まだ分からん、白骨だと言ったろ!
鑑識の連中も今向かったところだ。由美子、残念だが休暇は日延べだな。」
その言葉に心臓が止まるかと由美子は思った。
「はい、わかりました!」
そう答えるのが限界だった。
小杉班長の感の良さが疑問なのは置いておいて、由美子は急いで用意を済ませ
本山を待った。本山は三鷹市に住んでいる。
井口という所にアパートを借りていて、急げば由美子の家まで二十分で着く。食事など摂ってっては居られない。
恐らく現場に着く頃には調べは大分進んでいて、トンボ返しに署へとなるとも限らない。
事件は時間を考慮して起こってはくれないものだ。
由美子がブサ猫の三郎が纏わりついて来るのを手で追い払いながら右往左往して準備していても母の洋子(ようこ。五十五歳。)は気にも止めない。
警察官の妻となり母となって自然に身に付いた事だ。
平気で忠雄の朝ご飯の用意をしている。
其れを横目で見ながら由美子は家を出た。
動き易いグレーのバンツスーツに黒のスニーカーを履き、バックは袈裟懸けにした。
いざと云う時刑事として両手が使えるからだ。
少し気が強そうな美形の顔立ちの由美子のヘアースタイルは短めのボブにしている。髪の乱れを気にしては居られない事を考慮しての事だ。階級は巡査部長だがそこには拘りは全く無い。
5月の空気は心地好く、外へ出てみると少し気分がスキッてした気がする。
新緑も目に鮮やかである。
だが、心はもう既に現場に飛んでいた。
本山の車が由美子を見つけて停車した。
「先輩、助手席に乗って下さいと半開きにしたドアーから本山が顔を出して声をかけた。
「何故?」と聞くと後部座席を指さして「これですから〜。」と言う。
見るとそこに中年の(三十四歳)の捜査員、迫田が鼾をかいて寝ていた。
助手席のドアーを開けると物凄い酒の臭いが襲って来た。
本山は話し出した。
「迫田さん、三鷹の飲み屋で朝まで飲んでたらしいんですよ〜。
僕車出そうとしたらぐでんぐでんになって来て、おい、俺も乗せてけ、って、乗るが早いか寝ちゃったんですう〜。」
本山は新任の捜査官でこの迫田と組んでいる。
迫田さんらしいな、と由美子は思った。
彼が酒にのめり込むには理由が有った。
迫田には子供は居ない。夫婦二人暮らしであったのだがこの三月其の奥さんが急な病気で日を経ず亡くなってしまったのである。
迫田はその時捜査に出ていて病院に駆けつけた時に対面したのは既に霊安室であった。
それから荒れて酒にその思いを癒すようになっていた。
だが、捜査員としての力量は奥さんを亡くしてからもその右に出る者はなかった。
それでも、やはり最愛の人を亡くした寂しさは想像して余り有り、その酒を咎める者は誰も居ないのである。
「迫田さん、大丈夫ですか?」
と声をかけると
「うるさい、現場に着く頃には酒は抜ける!」
と一喝されてしまった。
調布のインターから東名高速に乗った。
単調な乗り心地となって暫くした時、由美子は反対車線に黄色のジブリカラーの雅子の軽車両を見たように思った。
しかし高速道路である。振り返って見たもののあっという間にその車は見えなくなって、違ったんだな、と思う。思えば雅子は小平東署の捜査員。ましてや市民安全課の捜査員である。、この時間帯に高速道路を走っている筈が無かった。後で雅子にメールでも入れておこう。と考えていたら急に深い眠気を感じて由美子は目を開けている事も出来なくなってそして意識が遠くなった。
そこは夏の児童公園の様だ。
樹枝は古びたブランコを漕いで居る。跳ね上げた足元を見ると、親指が桃色のズックから出ている。
前から歩くのに痛かった。
靴屋の前を通る度に新しいズックに目が行って欲しくて堪らなかった。
由美子は思った。
あの泥道を歩いた靴だろうか。子供の成長は驚く程早い。もしあの時のズックならば彼女の我慢は相当な筈だ。
それならそう思って当然だと由美子は悲しくなった。
樹枝は其れをずっと言えずに居たのだろうか。
あの透子になら考えられる事だった。
ふと見ると透子は外へ出てホースで朝顔に水をかけ始めていた。その顔は得意満面であった。
近所の人達にこんなにいっぱい朝顔を咲かせたよ。生き生きとね。そんな気持ちなのである。
花を愛でる気持ちでは無い。外の目を気にする虚勢であった。
終わると鼻歌を歌いながら家の中に消えた。
樹枝は今なら靴を買ってと言える気がしていた。だってとても機嫌がいいもの。
そう思ってしまったのだ。
時間ももう昼を過ぎようとしていた。どうせコロッケを買いに肉屋に行かされるだろうと、その機会をきっかけに言おうと、後を追うように彼女は家に戻った。
「昼だって言うのにいつまで遊んでんだよ!サッサとコロッケ買って来な!」
思った通りだ。
「うん、」と言いながら靴の話しを言い出す時を待っていたのである。
8に続く