「何やってんだよ!行くのか、行かないのか!」
と語気が荒くなって来ている。これ以上は待てない。思い切って切り出した。
「あのね、母ちゃん、ズックに穴が空いててね、新しいの買って欲しいの。」
心臓が口から出ちゃうんでは無いかと思う気持ちだった。
「なに!」と其れを聞くが早く透子は振り返った。
しまった!と樹枝は思ったがその時にはもう遅かった。
透子は長い箒を掴むと樹枝の襟首を掴んだ。
もう身動きが出来ない。「お前はウチに金無いの知っててそんな事言うのか!」
と怒鳴るが早く、箒の柄の方で樹枝の背中を凄い力で叩きはじめた。
瞬時に身体を丸めて防御したのだが益々の力で何度も打ち叩く。
こうなるともう動けないし透子の其れは勢いを増して止まらなく、いつもとまるっきり違っている。凄く痛い!伊藤のお巡りさん、助けて!泣きながら胸の内で叫ぶ。しかし伊藤巡査はもう交番には居ない。移動したのだ。
その代わりの若い巡査が時折立ち寄っては居たが今来る筈が無い。
樹枝の意識が薄れ始めていた。だが今日の透子の怒りは何時もより怖い!彼女は敏感に感じていて恐ろしい。
「なんて事言うんだお前は!ここまで育ててやったのに!」殊更大きな声で怒鳴った。
親である筈の透子の本性が出た都合の良い思いようである。
箒を畳に投げ捨てた。だが更に乱暴は続き、足で蹴り、拳で頭を殴り、やはり其れは何時にも増して執拗だった。樹枝も大声を上げ泣き叫んだ。
どの位殴られたのかもう分からない。
言わなければ良かった。靴なんて要らない!私が悪い!私が悪い!で、でも誰か助けて!と何回も心で叫んだ。其れは声に出てしまったかも知れない。
その時、「お前なんかもう要らない!」と殺意とも取れる言葉を叫んだ途端、樹枝の小さな身体を思いっきり蹴っ飛ばした。
彼女は浮いて転がり、部屋の隅の茶箪笥に勢いよく後頭部をぶつけた。酷い痛みが走り、そこから樹枝の意識がぷっつりと無くなった。
どの位の時間が経過したのだろう。見えては居ないのだが、大きな身体付きの男の人が何人も蠢いて居る感じがした。、「おい!生きてるぞ!救急車を呼べ!」
その声で樹枝の意識がぼんやりと戻った。
伊藤のお巡りさんの声?そう思い少し目を開けた。やっぱり伊藤のお巡りさんだ。そう思っても声が出ない。だが嬉しさが広がった。
樹枝の狭い視界には其のぶつかり合う大人達の大きな肩の隙間から遠くの空がぼんやり見えた。
伊藤のお巡りさんが助けてくれる。そう思ってその肩越しに眺めると、
そこにはぽっかりと穴が空いてとても紅くて鮮やかな空が見える。
とてもこの世のものでは無いと思う位遠くの美しい夕焼けだ。、だが其れは本の一瞬で視界から消えていった。「樹枝ちゃん、しっかりしろ!おいまだか!救急車・・・・」その声の途中でまた樹枝の意識は途絶えたのだった。
9に続く