二つの親

                                      坂木田美野沐

 

  

                              虐め

 

世間は無常に陥る事は多々有る。
大人では其れも熾烈極めるが
其れは子供の世界でも同じであり、時によっては大人の世界よりも辛辣である。
今目の前にいるこの子供に私はどうしたら生きる勇気を引き出し、希望を持って学校生活を送る事をさせてあげれるのかともがいていた。
彼女に言葉に出せない苦悩が今おそって来ていたのである。
純也君は泣かずに堪えている。勿論強がりである事は分かっている。
「純也君、辛かったら我慢する事ないよ、誰も居てへんし、先生の前では我慢しなくてええ。」そう言ってあげるのが精一杯だった。みるみるうちに涙が溢れ、いきなり純也は由美子にすがって声を上げて泣いた。、父ちゃんは人なんて殺してない、泣きじゃくるその声は言葉としてききづらいがそう繰り返している。相当な我慢に違いなかったのだろう。由美子の心も泣き震えていた。
肩が震えている。由美子は母親の様に純也の肩を抱いているしかなかった。
何故、虐めを受けるのか、純也が言ったことに尽きる。
純也の父は愛人と呼ばれる女の帰宅を待ち伏せ刺殺した罪で服役をしている。
一時、冤罪ではないかとの噂が立ち、新聞各社も取り上げたのだが、現場にその父親の指紋がついた凶器が放置されていて、返り血を浴びた彼の上着が発見され、その血が被害者の物と一致した為其れが動かぬ証拠となり、本人の自白無しに起訴され裁判で刑が確定した。身がってな別れ話の縺れからの犯罪として実刑判決に至ったのである。
事件は本人が、殺されたのは愛人ではなく、なんの関係もない、殺してないと上告はしたのだか却下されている。由美子は少し事件を調べてみたが本人は人殺しをするような性格では無かった。確証は無いのだ。だが何処かで冤罪であると思っていたのである。だが子供の世界は辛辣で大人の噂話を信用する。純也に対しての虐めがエスカートしたのは其の裁判が結審した頃からであった。
今日も上履きと体操着が無くなり、其れを知らないかと隣の席の児童に聞いたところ、日頃から強固にいじめているグループから殴る蹴るの乱暴を受けていた。
いかに我慢強い子供であっても、辛辣に父親を罵るいじめっ子の精神的に追い詰める言葉や乱暴に耐えるのは本当にきつかったろう。心底可哀想だと由美子は感じていた。
だが、その二人の様子を教室の後側のドアー越しにそのグループの一人が様子を見ていたのを由美子は終ぞ気づかなかった。
宥めて純也をそのまま白金駅の前で別れ家に返したのである。
帰宅してからも由美子は自分を責めた。教師としての自分をである。
都内の私立高で教鞭をとる夫、高雄が帰宅して、食事をしていても心は晴れないでいた。高雄はその様子に何があったののか瞬時に汲み取って言った。
「あの児童の事か?」由美子は驚いて顔を上げた。見透かされていた事が恥ずかしい。
「また、だったんだな。」と高雄がポツンと言うと、滲んだ涙を指で拭きながらうなづいた。
「父親が犯罪者、だからな。様子わかるよ。」高雄は由美子を見つめて尚も続けた。
「抜本的な解決って無いからな。大事にならならいよう護ってやるしか無いのが現実だな。」その通りだった。子どもを説得してもその親達も同じ、いや、それ以上に生田の家を蔑視していて増して2年生のまだ子どもは嫌悪して追い出そうとするのが正しいと思ってしまうようである。
抜本的な解決方法?そんなもの有るのなら知りたい、そう思っていたら由美子の頭を荒唐無稽な思いが湧いた。
「あ、あのね〜。」高雄は秋刀魚を口に運びながら声を出さずにうなづいた。
「純也君、うちの子に出来ないかしら。」
高雄は食べてる口から驚いて秋刀魚を吹き出した。
「ど、とう、どうしたらそないなるん!」と大きな声を出した。
どうした?大阪弁になってる。由美子はおかしかった。
だが由美子の目はその思いとは裏腹に輝いていた。
「だって、そないすればお母さんの苦しみも減るし、純也君だって、ここなら転校するしか無くなるやん。其れに…。」
くぐもった由美子のその先の言葉は分かるような気がした。
「由美に子が出来無い事か?」
その言葉に即座にうなづいた。
「純也君、ほんま良い子で。」
「僕に反対する気持ちは無いよ、でもアカンやろ、人様の子や。」と言う。
「お母さんに出入り自由にして貰うねん、うちの子にするだけ、助けてやるだけやねん。ね、どないやろ?」
由美子の気持ちは良く高雄にも理解出来た。だがそう言うほど簡単に行くものでは無い。そこいら辺は頭いい由美子のことだから分かっているのだろうと思いながらご飯のおかわりを要求した。
それを受けながら
「ウチに任したらいいねん、明日休みだからお母さんに会ってみるわ。」
茶碗を受け取りながら其れを聞いて高雄は諦めた。
言い出したら聞かない事は長年の事で知っている。上手くいったら元々だから話すくらいはいいか。
高雄も純也を知っていたから何処かで少し期待しているのかも知れなかった。
由美子の家は世田谷である。
そこから三鷹市の白金小学校迄担任教師として通っていた。
夫高雄とは奈良で知り合った。
創応大学で教師課程を取得、そのお祝いで関西に一人旅行した。その時奈良で鹿に追いかけられてる若い彼を見かけて由美子は大笑いをした。そして「手に持ってる餌を捨てたらええねん!」と大声をかけた。捨てたら鹿はピタリと止まった。彼は大きな木の下で座り込み、ゼイゼイ言ってる。
由美子はそばまで行って笑いながら言った。
「ここの鹿は餌持ってたらくれるものと思ってるから逃げたら追いかけるねん。あかんやん、持って逃げたら。」
彼は上目遣いで由美子を見ながら
「あんた誰?」と聞いてきた。
ウチ太田由美子です。笑ってごめんなさい。と返すと。
「地元の人?」と聞いてきた。
「東京の大学生よ。」と答えた。
不思議な顔して彼は更に聞いてきた。まだ息が上がっている。
「関西弁だからここか大阪辺りかと。」
由美子は大きくう懐いて答えた。その時彼のそばに座ったのである。
「元々は大阪。親いっぺんに交通事故でね。おばのところで大学行かせてもろて今年卒業。」
その時の彼の顔は彼女に同情してるのがありありと語っていた。
そしたら何故かいやになって立ちあがりながら
「ま、鹿は餌もってると追いかけるってお覚えおき!」と、やや強い言葉をかけて去ろうとした。
少し腹が立ったのは何故だろう。
早足で歩き出した。
彼はその後を同じテンポで着いてくる。
ムカついた。振り返ると
「ついてきーへんで!」と言い放つ。それでも
「お茶飲まない?」と平然と彼は誘って来た。
「お茶?そりゃ、ええなぁ〜、もち奢り?」大阪人はノリがいい。いや由美子がノリがいいのかもしれない。
腹が立つのがコロッと消えていた。
いい店あんねん〜行こ💕
彼は三島高雄と言って東京で高校の化学の新米教師だった。それからトントン拍子に付き合いが続いて結婚して7年が過ぎた。今の今まで由美子のペースに乗せられて生活をする事になったのである。
其れが高雄は寧ろ心地良いのかも知れない。
まさかほんとに純也の母親に会いに行く事は無いだろ。其れが高雄の思いであった。
だが、次の日午後から由美子は三鷹まで純也の母親、光に会いにホントに出かけたのである。白金町にあるそのアパートは小さな古びた建物で塗装の禿げた外階段を上がって2番目のドアーが純也の家である。忙しく仕事をしている光も土曜日は休みと聞いていて在宅している筈だ。
小さな呼び鈴を押すと直ぐにドアーが空いた。この間の面談の時よりも少しやつれた光がそれでも満面の笑みで出迎えてくれた。「あ、あの突然にお邪魔して…。」光はそう言う由美子の顔をニコニコしながら
「何時も純也を庇って下さり有難うございます。どうぞお入りください。」と案内した。
台所を通り六畳間の部屋に行く。それだけの住まいである。だが綺麗にかたづている。「あの、今日は純也君の事で少しお話があって、」なるだけ関西弁が出ないように話した。
「はい、もしかしたら昨日の事でしょうか。」「とにかく狭いですがお座り下さい先生。」とテーブルのところに座布団を差し出した。
座りながら「昨日?昨日何かあったのすか?」由美子はドキドキしてきた。学校での事もあったから、あれからまたと感が働いたのである。
「ま、お茶でも、先生、コーヒー召し上がります?」そう言われてふと台所を見るとインスタントのコーヒーもう底を突くくらいに減っている。
「あ、構わないで下さいね。」と遠慮をした。夫は刑務所、子どもと2人の生活は経済的にも大変なのは火を見るよりも明らかな事である。「あ、お母さん、そこで草餅買ってきました。美味しそうで。」と、渡すと、嬉しそうに微笑んで
「なら、日本茶入れますね。」
「いえ、その前にさっきの話し聞きたいです。」と話を急いだ。
光は台所に背を向けて由美子の横に座ると深く息を一度吸い込み話し出した。
「昨日夕方暗くなっても純也学校から帰って来なくて。帰ってみたら戻った様子無いんです。」由美子は驚いた。
「え、なんやて!昨日は私と一緒に駅前迄一緒に帰った筈なんやけど。」
と言うと
「純也から昨夜聞きました。だから私探しに出たんです。もう暗くなって、何か気になって。先生、」
「先生は白金稲荷ご存知ですか?」
よく知っていた。小さな稲荷神社で後ろがこんもりとした林になっている。
「こそから呻き声聞こえて来て私飛んで行ったんです。やはり純也でした。」
神社の社に寄りかかって丸くなって呻いてました。びっくりして私おぶって赤村医院に飛び込んだんです。ほうぼう殴られ蹴られしたみたいで少し意識無くなっていて。
そこまで聞いて、事の顛末が理解出来た。二人の話しを誰かが聞いていて報復を受けた。そう直感した。、何と卑怯な、やった子供の顔は想像できた。
「そ、それで純也君は?」
「病院です。今日午後からも一度検査をして何でも無ければ先生が夜送って来てくれるんです。あの辺はクラスの子も多いので私はやたら出入りしない方が、」
そこで光は涙ぐんだ。「夫があんな事であの子に辛い思いをさせて、私
…。」
「勘弁やお母さん、私の配慮足らんかったん。すみません。ここまで送れば良かったんや、あほや私…。」
光はそれを見て驚いて首を振った。
「実はその事でお話が、純也君いない時の方が返ってええから話します。失礼な事かも知らへん。、先に謝っておきます。」そう言う由美子を光は不安そうな顔をして見つめている。
それでも「話って何でしょうか。」と言う。
「実は、私たち夫婦に子ども居ないんです。」余りの方向の話に光は訳が分からない。「夫と話したんです。純也君を養子に迎えられないものかと。」光の顔は明らかに動揺している。
「な、何とおっしゃいました?」やっとのことで聞き直してみた。
「純也くんを私達の子供として頂きたいんです。」
「なんで、なんでなんですか?」
「お母さんにとって淳也くんは宝物。其れは分かってるんです。でも

由美子は自分の気持ちを正直に順を追って話した。
形を養子にしたら純也君は世田谷に転校する事。そこでお父さんとの話が切れて虐めに会う事が無くなること。自分達に子供が望めなくて本心養子に迎えたいこと。光さんとの絆は途切れない事。そして光さん自信が今より身体も気持ちも楽になる事。
そこで迄聞いても光は顔を挙げなかった。母親である以上其れは理解の範疇であった。
「でもこの事は容易では無いこと知ってます。ご返事は急ぎません。だけど私達が子供としてお預かりする事はもしかしたら純也くんの命を大切にする、気持ちも幾らか軽くなる事に繋がるのではないのかと思うんです。昨日の事みたいな事防ぐためにも。あくまでも純也くんのお母さんは光さんです。いつでも会えるんです。」そこまで口に出して、私はもしかしたらひかりさんから宝を奪おうとしてるのでは無いか、都合の良い事並び立てて、そう思い当たった
「お母さん、そなウチ帰ります。決してこの話強制でもなくて、提案として頭に入れて置いてください。ほんとにお母さんの心に土足で入るような真似をしてすみません。」ふと見ると首を下げたままその言葉に首を振っている。いえいえ、という意味にも
なんて事を言うの、とそんな気持ちで振って居るのとどちらかは分からなかった。
とうとうお茶を入れることなく光はドアーを閉めた。
私はなんて酷いことを光さんに言ってしまったのだろう。ドアーを見つめてそう反省に至ったのである。でももう矢は放たれてしまった。なるようにしかならへん。そう気持ちを切り替えて家路を急いだ。もう白金駅の近近くまで来ていた。
定期を、たそうとしたら
「先生、待って下さい!」と光の声がした。「先生、純也を、純也をお預けします!」そう言って泣き崩れてしまった。
ここでは人の往来があり過ぎる。駅の側の小さな喫茶店に光を抱えながら入り席を持った。
「先生のお話とても嬉しかったです。親として子どもを手放すのはとても辛いですが、私には護ってあげれません。ただあの子は主人の子でも有ります。黙って先生に預ける事は出来ませんので話しをしなければなりません。それまでどうぞ学校での事宜しくお願いします。」
頭を下げ、涙しながらそう話す光を見て
私は純也くんと、このお母さんも護って行かなければ行けないんだと、そう思うと、由美子は自分が言い始めた事なのに身体が震えるのを覚えていたのである。
次の日純也は学校を休んだ。殴る蹴るをしたであろう子どもは何事も無かったように一日を過ごして帰って行った。その翌日から純也は登校したが、休み時間も由美子は教室にいて監視の目を光らせている。其れにしても怪我が大事に至らなくて良かったと思う。淳也くんは勿論だが暴行を働いた子も今は当然な事をしただけと思って居てもいずれ大人になる。自分のした事を全て理解していく。其の汚点にならなくて良かったと心から思うのである。
それから何事もなく1週間が過ぎた。